『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部(記事の整理中)

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。

『A3』(森達也)への検証:本論1 「麻原彰晃(松本智津夫)水俣病説」を検証する

『A3』では、「麻原彰晃松本智津夫水俣病説」を、仮説としてであるが、提出している。以下、長いが、著者の森氏が「ぜひ広めてほしい」と考えておられる以上、長文引用する。

第6章

 個別の人格や環境に、これらの要素や因子が影響を与えることは確かだ。だからこそ事件や現象を解明する際には、あらゆる要素や因子を(その可能性も含めて)考察することは重要だ。ならばなぜ麻原と水俣病との関連は、その可能性を口にすることすら憚られるほどにタブー視されたのか。
 結論から書く。被害者への過剰な配慮だ。二〇〇四年四月の段階で、それまでに県が水俣病と認定してチッソが補償金を支払った患者総数は二二六五人。そのうち一四五六人がすでに命を失っている。
 二〇一〇年五月一日、水俣市で開かれた犠牲者慰霊式に歴代総理として初めて出席した鳩山首相は、被害者や遺族たちへの謝罪の言葉を述べた。また同日に政府は国などを相手取って係争中の未認定患者たちへの一時金を支給する和解案を提示し、新たな申請者の受け付けも開始した。申請者は三万人を超えると予想されるが、朝日新聞(五月二日付)には、「自分が水俣病と気づいていない『潜在患者』の数はわかっておらず」との記述もある。
 水俣の患者たちは、これ以上ないほどに苛酷な状況に置かれていた。特に初期の頃は、行政もチッソもその責任を回避し、患者たちは伝染病じゃないかとの差別とも闘わねばならなかった。
 ただしその被害者への配慮が、(藤原が言及したように皇室というもうひとつのタブーと抵触しながら)萎縮や封殺に繫がるのならば、これに従属するつもりは僕にもない。なぜなら地下鉄サリン事件以降、主語を被害者に置き換えることで自由にものが言えなくなるこの傾向は、北朝鮮拉致問題などでさらに加速して、結果としてこの国の現状とこれからの方向に、とても歪で大きな影響を与えているからだ。
 地下鉄サリン事件の大きな特徴は、不特定多数を標的にした無差別殺戮であるということだ。被害者にすれば因果も必然もない。一九九五年三月二十日の朝、もしも東京の地下鉄に乗車していたならば、誰もが被害に遭う可能性があった。だからこそ怒濤のような報道を媒介にしながら、まるでパンデミック(世界的流行病)そのままに、被害者や遺族が抱く不安と恐怖、さらに憎悪や応報感情が、一気に日本中に広がった(その意味では、その後の厳罰化は当然の帰結だった)。
 水俣病麻原彰晃との関係は、今のところは証明されていない。僕自身は、地域や周辺住民たちの様子から、可能性としてはきわめて低いと考えている。でも低いからといって考察すべきではないとは思わない。可能性はあるのだ。もしも麻原が水俣病の未認定患者であるならば、それは裁判にだって影響する(続いていれば)。事件の概要や麻原の人間性へのパースペクティブに、新たな補助線を加えることができる。

第25章

 仮に麻原彰晃水俣病患者だったとして、それがどうしたと言う人はきっといるだろう。いや間違いなく、そんな人のほうが多いだろう。
 もしもあなたがその一人なら、少なくともこのくらいは知ってほしい。旭化成積水化学積水ハウスなどの母胎会社でもあるチッソ(旧・新日本窒素肥料)が垂れ流した廃液に含まれていたメチル水銀によって、水俣病は発症した。このメチル水銀アセトアルデヒドを製造する過程で発生する。そしてこのアセトアルデヒドは、プラスチック生産において必要不可欠な化学物質だ。
 水俣病が発症した高度経済成長期、プラスチックの生産は日本の消費経済を支える基幹産業のひとつだった。チッソが国策会社と呼ばれた理由はここにある。つまり水俣病の原因には、明らかに日本という国家が二重写しになっている。
 仮に麻原が国家転覆やクーデターを本気で考えていたのだとしたら(裁判所はそう認定している)、彼が国策事業の被害者としていつかは失明する自分の運命を知っており、しかも患者として認定されず救済されなかったという事実関係の把握は、とても重要な意味を持つはずだ。
『黄泉の犬』が発売されたのは二〇〇六年十月。でも麻原彰晃水俣病の関係について重要な仮説を提示したこの書籍は、結局は大きな話題にならなかった。藤原も自身のブログに十一月九日の日付で、こんな文章を寄せている。

(前略)私は当時マスコミが追ってついに行方を突き止めることの出来なかった松本家の長であり、オウム真理教の教祖として迎え入れられるはずであった麻原の兄に偶然会う機会にめぐまれ、恐るべき証言を引き出すことになるのだが、今現在のところ、事件の様相を一変させる証言を書いたこの本はあらゆるマスコミから無視されている。この内容にしてインタビューの申し込みが「一件もない」というのは経験からして考えられないことである。腹にサラシまで巻いて命がけで取材するような者のいないこの時代を象徴している。
 前作『渋谷』で嵐のように押しよせてきたマスコミと打って変わってこの完璧なまでの無風状態は不気味ですらある。「さわらぬ神にたたりなし」ということなのであろうか。そのようにしてこの証言と本は歴史の闇に葬られて行くのであろう。

 藤原のこの指摘について、僕は全面的には同意しない。麻原彰晃水俣病患者だった可能性があるとの仮説を提示することが「水俣病患者への差別や偏見を助長する」式のレトリックに、マスメディアが囚われている可能性はもちろんあるとは思う。命がけで取材する者が減ったとの指摘については、そういう視点もあるのかな、くらいには思う。でも『黄泉の犬』に対してメディア全般がほぼ無反応だった理由は、たぶんそんなことではない。
 かつてはあれほどに熱狂したオウム報道について、あるいは麻原について、この社会はもう興味を失っている。売れない野菜は八百屋の店先から淘汰される。つまりはそういうことだ。だからメディアも熱くならない。


第28章

 いずれにせよ、「早川ノート」をめぐる真偽については、当人である早川紀代秀に会って確認しなくてはならない。それについては次号にする。今回は、前号で僕が書いた麻原と水俣病の記述を読んだ林泰男からの最新の手紙についても触れておきたい。その一部を以下に要約する。

 水俣病の話がとても衝撃的でした。
「やっぱりそんなことがあったんだなあ」と納得する面もあります。……変に思われるかもしれませんが、無性に胸が痛みます。……哀しいですね。
 一度、松本氏と弟子十数人と共に、松本氏の実家に行ったことがあるのですが、そのときにみんなの食事用にハマグリが用意されていたんです。バケツに半分くらいあったように思います。
 それを知った彼は、ハマグリだけは料理させずに、そのまま(生きたまま)貰い受け、帰りの道すがらに、近くの海にばら撒きました(実際にばら撒いたのは私たち弟子ですが)。
 そのときは、「生殺をさせないためにそうしたのだろう」と思っていました。しかし(「A3」にも毎日寿司を食べに行っていた船橋時代のエピソードが載っていましたが)寿司を食べに行くと、彼は目の前で生殺させることになる赤貝や帆立貝などの貝類も注文することがありました。
 ……そんなことが、走馬灯のように次々と思い浮かびました。

これに対して、滝本太郎青沼陽一郎・藤田庄市の三者は抗議文において、以下のように批判している。以下、長いが全文引用する。

『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記 - 2011年9月3日の記事一覧 7件目〜

10 松本死刑囚の視力障害につき、水俣病説の無責任すぎる流布
 森氏は、藤原新也著「黄泉の犬」に記載ある松本死刑囚水俣病による視力障害説を数カ所にわたって引用しているところ(112ページ、363ページ以降)これは少し検討すれば誤りであることが判明するのに、そのまま引用しているのであって極めて重大な問題である。未だ呻吟している方も多い水俣病患者への偏見をも生みかねないからである。1995年以降しばらくの間、松本死刑囚被差別部落出身説や親の朝鮮半島出身説などまで流布させた者がありそれが未だ一部で言われているが、これと類似して大きく誤解を招くものである。

 ところで、水俣病により視力障害の状況は、次の通りとされている。「水俣病診断総論」(2006年11月医師高岡滋水)による。
水俣病では、メチル水銀による大脳の視覚野が障害されることによって、これらの視覚障害が現れる。とりわけ視野狭窄に関しては、視野の周辺部分から欠損する求心性視野狭窄が特徴的である。この求心性視野狭窄は、水俣病以外では極めてまれにしか見られない症候であり、八代海沿岸住民にこれが認められる場合は、水俣病と診断して間違いない。視野沈下等についても、水俣病との関係を考えなければならない。視野を調べる方法は、医師が向かい合って調べる対面法と、フェルスター視野計やゴールドマン視野計などの器械を用いる方法がある。視野障害をきたす水俣病以外の疾患で頻度の高いものとして緑内障や網膜色素変性症がある。いずれも放置すると進行することが多く、眼科的に診断が容易であるため、水俣病との鑑別に問題となることは少ないが、緑内障による視野障害は、通常、求心性ではなく不均一な分布を示すことが多い。網膜色素変性症は進行性で失明にいたることも少なくなく、鑑別は容易である。」

  一方、松本死刑囚の視力障害は先天性緑内障または網膜色素変性症と見られている。それは、上記のとおり水俣病による視力障害とは著しく異なって鑑別も容易である。もとより松本死刑囚についてはその他の水俣病、慢性水俣病にかかる症状は一切報告されていない。それにもかかわらず、藤原新也氏は、松本死刑囚の実家を訪れて水俣市が近いことに気がつき(地理を知る者なら行かずとも分かる情報であるが)、またその兄の話を聞いただけで、水俣病である蓋然性があるような記述をしている。
 それを森氏は検討することなく引用し、更にハマグリのエピソードを記載して強調し(410ページ)、松本死刑囚の国家に対する恨み「ルサンチマン」を滔々と述べている。

 しかも、森氏は、「A3」139ぺージにあるとおり、関係者から網膜色素変性症だろうと推測を聞いているのに、このように視力障害についての水俣病説を延々と記述し、無責任に流布しているのである。

 事実を追及しようとするものであるならば、これが水俣病の症状としてあり得るのかを確認すべきこと、実に当然である。森氏は、ノンフィクションとして刊行する者として基本的な「真実に達しようとする姿勢」に欠けていると言うべきではなかろうか。恣意的な引用、信用性のない情報の分析なき引用、単純すぎる取材間違い、他の論者の論を歪曲して記載するような「A3」のどこにノンフィションとして優秀な点が見られるのであろうか。

……私も、おおすじでは後者に賛成せざるをえないのだが、この批判内容には重大な欠落がある。麻原彰晃松本智津夫)の生活歴がほとんど記述されていないのである。
以下、私なりに書き直してみた。以下の部分を、「その他の水俣病、慢性水俣病にかかる症状は一切報告されていない。」の部分と交換することを提案したい。

水俣病は、特に慢性のものは、視野狭窄のほか、感覚障害・運動障害・手足のしびれなどのいずれかがみられるというのが、行政(認定審査会)側とそれに批判的な医療関係者の両者の一致した意見である。しかし、麻原彰晃松本智津夫)の場合、幼年期・青年期・成人後・オウム仙神の会~オウム真理教トップの期間・裁判中のいずれにおいても、一連の裁判中での各被告・関係者の証言をはじめとする、本人および第三者(家族や信者ふくむ)の証言の中に、水俣病とみられる慢性の症状はみあたらない。したがって、麻原彰晃松本智津夫)が水俣病であるとは認められないとするのが適当である。」

裁判資料としては、『オウム法廷』全13巻(1998年~2004年)と『オウム「教祖」法廷全記録一覧 』(1997年~2004年)を私はすべてひととおり通読したが、麻原(松本)における慢性の水俣病の症状にあてはまるものをみつけることはできなかった。私が見落としている可能性はあるが、私の感触としては、ほとんどありえないと思える。

以下、水俣病の診断に関する参考資料を示す。強調は引用者。

水俣病の認定基準とは - コトバンク

77年に当時の環境庁が作った。手足のしびれなどの感覚障害のほか、運動失調など複数の症状の組み合わせがある場合に限り水俣病と認定する。認定されると、原因企業のチッソから補償金1600万〜1800万円が支払われる。被害者側は「基準が厳しすぎ、切り捨てにつながっている」と批判している。

CiNii 論文 -  水俣病 : 民主主義と正義のための挑戦 (足立明先生追悼号)
P22より。おおくの問題のある「1971年通知」をとりあげたものだが、ここでは慢性の症状をリスト化した記述として引用した。

この通知は、神経学的徴候として、視野狭窄、運動失調、難聴、感覚障害などを挙げ、これらの神経学的徴候の組み合わせを必要とすることはなかった。


原田正純さんインタビュー「水俣病患者とは誰か」 | 一般財団法人水俣病センター 相思社
(インタビュアーは、最近著作を出版した永野三智氏)

原田 水俣病はハンター・ラッセル症候群を頂点にして、裾野の方が分かってきたでしょ。一つ、そこには「病像がはっきりしていないから救済できない」という行政の嘘がある。病像がはっきりしていないから、救済できない。感覚障害だけの水俣病があるかどうかとか。

でも実際は調べてみると、しびれだけなんていう人は少なくて。自覚症状を無視するから感覚障害だけになるけど、頭が痛い、からすまがりがある、力がなくなって途中で歩けなくなる、いっぱいある。ところがマスコミも含めて帳面上、感覚障害だけの水俣病があるかないかの議論になって。しかも、学問的にはまだそこがはっきりしてないみたいな風に。しかし今分かってることだけで、十分救済はできる。救済に支障ができるほどじゃない、「分からない」を理由に救済ができないなんて馬鹿なことないわけです。

原田 反省はね、僕もしないと。一九六二-三年頃、僕は一所懸命、湯堂、茂道で胎児性の調査をしてる。知能テストをやったら成績がものすごく悪い。それで、あの地区には知的障害がものすごく多いという結論で終わってる。データを見てみると、Bさんなんて成績がものすごく悪かった。つまり従来の知的障害とは違う。Cさんだって、あのするどいセンスは、漢字が書けないのにね。症状がものすごいちぐはぐ、でこぼこがあるわけです。

永野 脳の中に一個抜け落ちているところがある、そういう意味ですか?

原田 そうそう。だから障害が見えにくいんですよ。実はものすごくまだらになってる。それを一所懸命、若い世代はみんな隠してきたわけですよ。Bさんが一般的な知的障害者かというとそんなことないわけでしょう。

永野 そんなことないですよね。

原田 ただどっかにちぐはぐな障害があって、それをやっぱり隠しているわけですよ。

永野 本人にとってはものすごい努力ですよね。

原田 そうなんですよ。だから、Aさんは高校まで行ってる。どこがおかしいってことになるんだけど、おかしいんですよ。

原田 (略)水俣病だってそうなんですよ。チョロチョロっと調査に来て、しかも、第三水俣病の時なんか、九大の黒岩義五郎教授なんかが講習をやるわけでしょ。あの人は水俣病を見たことない。講習受けた人からちょっと聞いたけど、いかに嘘を見破るかという講習をやってるんですよね。

永野 患者の嘘を見破るかという?

原田 うん、いかに見破るかという。「感覚障害は本人が言ってるだけだから信用できない」とかね。僕はいつも、裁判なんかでも言うんだけど、本来、医者が感覚障害があると言う場合は自覚障害じゃない。検査圧を強くしたり弱くしたり、何回もやってみて、これが診断なんだ。ところが、「感覚障害というのは本人が言うだけだから信用できん」ちゅうことは、自分の専門性をもう放棄してる、専門家じゃないと言ってるのと同じですよ。患者の言ったことを鵜呑みにするのではなくて、その中からどうあるのかということを確認するのが専門家でしょ。だから、馬鹿げた話ですよ。

原田正純氏のインタビューを特に長く引用したが、要は「生活史の中に”病状”が現れるはずだ」という診断の基本を言ったまでなのである。麻原彰晃松本智津夫)の生活史に病状らしきものがみあたらない以上、それは病気ではないとしかいいようがないのである。逮捕から20年以上たった現在、麻原(松本)に慢性の症状についてなんかの証言がまったくといっていいほどみあたらない以上、「麻原彰晃松本智津夫水俣病説」の可能性は、かぎりなく低いとしかいいようがない。むしろ、視力の問題をのぞいて、身体は健康そのもの、といったほうがいいと判断できる。念のためだが、「肥満」はここで除外しておく。
第28章での林泰男が証言した、ハマグリを捨てさせた、というエピソードについては、おそらく麻原(松本)が、「不知火湾のあたりでとれた貝類はあぶない」という話をどこかで聞いていた、と考えれば、無理のない説明ができる。



……さて、なぜ私が、森氏も滝本氏らも決して中心的に論じていない「麻原(松本)水俣病説」の可能性をていねいにつぶしていっているのか、疑問に思う人もいるだろう。私も、あれほど色々な文献にあたっている(はずの)森氏が、慢性の水俣病の病状について『A3』において一度も引用しないのは、よくいってかなり硬直した発想であり、藤原新也氏への高い評価を「かなりの見当はずれ」とすら思っている。
しかし、ここで麻原(松本)の生活史と心身状態の経過をできるかぎり正確に確認しておくことには、より重大な意味がある。

斎藤美奈子氏の解説に、なぜ麻原(松本)水俣病説が一定の説得力があるように思える理由が暗示されている。

 もちろん、生まれ育った熊本県八代市で、あるいは一時居を構えていた千葉県船橋市で、ゆかりの人々が語る少年時代・青年時代の麻原像は、それなりに興味深い事実を含んでいる。とりわけ彼の視力の衰えが水俣病に起因するかもしれないという、人物像を大きく左右しかねない証言は読む人に強い印象を残す。しかし、結局のところ、そこはアイマイなままだし、弟子たちが証言する「教祖としての麻原像」も意外とまではいえず、麻原彰晃の人物像は断片の集積にとどまっている。

もし、この部分が、実態とまるっきり逆だったとしたら、どうだろうか?
1995年3月20日地下鉄サリン事件を指示した麻原彰晃松本智津夫)が、日本社会一般に対して、非常に強力な、敵意か、支配欲か、もしくは危機意識をもっていた。
この前提でほぼすべてのオウム論は論理構築されている。森氏も滝本氏らも、裁判の判決文も、このことを疑問をいだいていない。

しかし、本当にそれは疑問の余地のないものなのだろうか。

次回は、地下鉄サリン事件における一連の証言を再度読み直してみたい。特に村井秀夫に関して。