『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。

『殺生と戦争の民俗学』、この本は大塚英志の代表作になるだろうと同時に東アジア精神史における失敗の代表作になるだろう。

すこし大げさかもしれないが、私はそう考える。
十五年戦争についてある程度詳しい人がこの本を読んだら、非常に違和感を抱くだろう。なぜなら、「殺生の快楽」についてとことん考える、と大塚は言いながら、早尾乕雄(陸軍軍医)の『戦場心理の研究』その他の研究レポートが一切(!)紹介されていないのである。どこをどう考えても、早尾軍医のレポートを引用しないのは根本的におかしい。1991年と2009年に不二出版から復刻版が出版されているのである。大塚は柳田国男全集や1940年代の出版物まで引用して調べ上げてこの本を書いたのだから、目にしていないのは明らかに不自然である。もっと奇妙なのは、大塚が明らかに真剣に問題に取り組みながら、早尾軍医のレポートやその種類の文献を自分がさがそうとしないこと自体をまったく不自然に思っていないらしい、ということである。
私の考えるところ、結論の一つをいえば、「公民の民俗学」、この定義が最初に問題をもっている。
問題点は、植民地支配が一つの社会的実在なのだということを無視すりことである。植民地支配ぬきに、明治維新以降の東アジアの“社会”を考えようとしても必ず失敗する。たとえ、「内地」に「被植民者」が一人もいなくても、大塚は「公民」という日本人主体を「内省」を根拠に作り出そうとしている。問題は、「公民」であってもそのワク組みは固定されてはいけない。それをした瞬間、植民地主義の危険がうまれる。
中野敏男氏が主著において、吉本隆明批判において柳田学に一点だけふれていたが、その落とし穴に柳田国男千葉徳爾大塚英志の研究者三代が(避けようとしたのだろうが)はまりこんでいる。もちろん、日本人の血統を考えているわけではない。そうではなく、日本語圏の自明性を前提に語っているからよけいに問題なのである。なぜここで、大塚が1923年の関東大震災における朝鮮人やろうあ者や社会主義者や中国人の虐殺について語らないのか。語圏というものの自明性を疑っていないからだ。だからこそ、別の本で、「デマに流されたから虐殺がおきた」という意味のことを書いて落とし穴に落ちてしまうのである。いいかえれば「公民が(公民だけで!)内省できないから虐殺がおきた」といってしまうのである。
虐殺は極端な例なので、それこそ言語政策を例にとろう。
日本社会で植民地文学の有力な書き手が不在(もしくは抹消)されたのはなぜか。大塚ならば「公民が(公民だけで!)内省できないから」と答える。梶村秀樹ならば、こう答えるだろう。「公民(つまり日本語話者)が、別の言語、(たとえば)朝鮮語で内省する“感覚”をつかむ必要性とはなにかが を(はっきりさせられるのに)はっきりさせないから」と。

付記。
ここで私は中島敦を思い出す。中島のゲシュタルト崩壊の経験と植民地主義を描けたことには必然的な関係がある。
つまり、「プウルの傍で」「文字禍」「名人伝」そしておそらく「李陵」は、第一言語の自明性を破壊的に疑うという点でつながっている! 夏目漱石ゲシュタルト崩壊について小説「門」で書いているが、英文学研究での挫折のエピソード、あれも一種のゲシュタルト崩壊と見るべきだと考えられる。不徹底ではあったが、必要かつ重要な経験だった。


(一連のツイート


を加筆)