『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。

空虚だからこそ際限なく過激化する排外主義――選挙に出た「オウム真理教」と「在日特権を許さない市民の会」

「黒い彗星報告集会によせて」(米津篤八) - 「2010.12.4 黒い彗星★救援会」跡地

数年前、この記事を読んだ。その時は、ここにすべてが書いてあると思っていた。
今は違う。
本当は、少なくとももう一つ指摘しないといけないことがあるのではないか、ということである。

それは、「在日特権を許さない市民の会(以下、在特会)」が、「空虚な主体」そのもの、ではないだろうか、ということである。
「あんな過激な言動なのに、空虚!?」と思うだろう。とりあえず、以下の私の考えを読んでほしい。

ここで、「空虚な主体」といったのは、徐京植氏の用語を使ったものである。私は徐氏、いや本当は「先生」と呼ぶべきなのだろうが、一応「徐氏」とする、の本を何冊も読んでいて、そこでいつのころからか、ある違和感を感じることになった。欠落しているものがあるのではないか、と。
それが何か、最近になってわかった。オウム真理教(以下、オウム)への言及である。
断っておくが、私は徐氏を否定したいのではなく、徐氏の議論をさらに高めようとしているのである。
さて、オウム真理教に関する書籍は(異様なほど)数多くあるが、問題をはっきりさせていないものが多いのは私には不満だった。私がオウムに対して抱いていた問題とは、「チャラチャラした”表の姿”と殺人鬼としての”裏の姿”がどういう関係にあるのか」である。
数年前、これを理解するカギだと思う論文を見つけた。中西新太郎氏の「よい子の幸福論の破綻」(『若者たちに何が起こっているのか』、2004年、花伝社)である。
問題設定に驚いて、何度も読み直した。
論文の内容を要約すると、消費社会を基盤とした新興宗教は、(マニュアル的)修行による「個人の精神的純化(これは直接金で買えない)」を目的にしていたが、これはつきつめていけば「具体的な他者」を観念的に抹殺することになる、というものである。
中西氏は、のちの論文において「オウム真理教という鏡--消費社会の転換と宗教動員」、この「精神的純化」が人々を動かすことを「信の動員」と名づけた。
私は最近、このメカニズムは在特会とよく似ているのではないか、と考えるようになった。私のこの考えを裏づけるように、中西氏は『ひとびとの精神史8 バブル崩壊』の「小林よしのり――保守の変容とメディア的人格」の章にて、こう書いている。

「今まで肯定できていた現実(日本)、賞賛してよいはずの現実(日本)が危機にさらされているとうのは高原(※高原基彰)の指摘通りだろう。とはいえ、そうした危機に由来する不安からの脱却という説明では尽くされたないものがある。意識調査にみる満足感(現状肯定)の高率が示唆するのは、むしろ、肯定したい実態(日本)が定かでなくとも肯定してしまえる際限ない自己肯定への欲望(憧憬)なのではないか。不安はそれを抱えるアイデンティティ観念を前提とするか、ゴーマニズム話法の大衆化が映し出したのは、「人格」のそうした想定なしに、「日本・日本人」を肯定できる認知操作―自己操作のすがたである。
 歴史のリアリティに照らすなら、このいびつな自己肯定の追求は挫折を余儀なくされるだろう。ポピュラーな心情のレベルで、はるかに深く大規模な自画像の描き直しが迫られるにちがいない。それがいつどのようなかたちで出現するか、いまは未知のことがらである。(P168)」

これは、オウムと在特会の共通点を指摘しているのではないだろうか? オウムも在特会も、カメラで撮影した映像を多用した。あれは、自分の集団の外部にみせてのものというより、自分たちの集団の真正性を真実性と思い込もうとするための”科学のみかけをしたエセ魔術”ではないだろうか。
ここで、オウムが討論型バラエティー番組によく出演していたのも思い出すべきである。在特会ニコニコ動画でそうやっていた。そこで、「自分が勝っている(自分でも説明できない何かに!)姿」を見せたかった、いや、形作りたかったのである。紙媒体におけるこの手法の先駆者が、小林よしのり。小林のゴーマニズム話法を水で薄めて、だれでも使える論破話法にしたのが山野車輪である。

空虚な主体は、表向きはなんだか”軽い”姿しかしていない。だから、それが際限なく過激化するのが理解されない。実は、内部にいる人たちも、そのことに気がつかないのではないだろうか。

中西氏は、まだオウムの固有性についてはまだ分析されていないことがある、としている。私には、思い当たることが一つある。松本智津夫水俣病の関係だ。私が調べた限り、松本智津夫水俣病ではない可能性が高いそうだ。病像からみてほとんど考えにくい、という意見が多い。ここで、水俣病の定義(病像論)が補償問題で大きくゆがめられたことはおいておこう。ここでの問題は、松本(とその家族親族)が、おそらくは水俣病との関係について行政からおそらくは粗末に扱われただろう、そのことをどう感じたか、ということが問題である。直後は、その怒りの対象がはっきりしていたのかもしれないが、その後は表の記憶から消えていったようだ。松本公害一般については語っているらしいのに、水俣病について具体的には何も語っていないことが、それを示している。丸山真男に代表される戦後思想などの高尚な理論より、サブカルチャーに一定程度熱中したのも、その傍証である(証拠として少し弱いだろうか?)。しかし、深層でどうだったろうか。ひょっとしたら、松本は自分でもその反日本政府的思想がどこからきているのか、わからなかったのではないだろうか。幼いころに行政から粗末に扱われただろう一件をどの場面でも一切語らない松本=麻原正晃の様子は、私にはかえって危険性を感じる。あまり知られていないが、松本は天皇制廃止と国号変更を主張していた。これは、”もやい直し”からぬけおちた人間の、起死回生のちゃぶ台がえしだったのではないだろうか。

ここで、水俣病と向き合い続けた医師・原田正純氏のエピソードを紹介しよう。たしか、『水俣病は終わっていない』(1985年、原田正純岩波書店)に書いてあったことだ。
原田氏は水俣病患者だけを診察しているわけではないのだが、こんなことがあったそうだ。ある身障者(たしか聴覚だったと思う)の母親が

水俣病の患者は恨む対象がある。でも、私はだれを恨めばいいのか」

といったそうだ。
それに対して、原田氏は

水俣病のようにはっきりした患者が救われずに、身障者の誰が救われますか」

とおだやかに、しかしはっきりと言ったという。
私は、心から原田正純という人間を尊敬する。そして、それと同時に、原田正純(だけではないが)を無視しづけた”文化と文化人”を、ほかの何がどれだけよくても、どうしても尊敬しきれない。特に、1980年代以降の日本サブカルチャーと呼ばれる作品群とその創作者たちには、そのことをはっきりさせておかないといけない。その必要性をひしひしと感じる。


結論を言おう。
ネットで真実」ではない。「勝手に真実」なのである。そして、オウムと在特会は「勝手に日本軍」なのである。「社会がほっといてくれるんだから、自分たちの軍隊を作って何が悪いんだ」という思いがその核心にある。そして、それを許したものの一つは、人の心、いや社会の核心はカネで買えるを体現した歴史の妖怪・1965年日韓条約である。私はそう断言する。