『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。

『忘却のための「和解」』(2016年、鄭栄桓、世織書房)への発展的コメントーー公娼制度と「法の抜け穴」としての植民地の存在

http://seorishobo.com/%E5%88%8A%E8%A1%8C%E6%9B%B8%E7%B1%8D/2016-2/%E5%BF%98%E5%8D%B4%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%92%8C%E8%A7%A3%E3%80%8D/

目次


1 『帝国の慰安婦』、何が問題か

2 日本軍「慰安婦」制度と日本の責任

3 歪められた被害者たちの「声」

4 日韓会談と根拠なき「補償・賠償」論

5 河野談話・国民基金と植民地支配責任

6 終わりに=忘却のための「和解」に抗して







 該当書を今日、再度読んだ。鄭栄桓氏(以下、鄭氏)の徹底的な批判には本当に頭がさがるうえに、朴裕河氏(以下、朴氏)にすりよる日本の知識人の情けなさには本当に腹が立つ。
 しかし、鄭氏の批判は、実は、「現在公開名乗り出している被害当事者」を”正当に”守るという前提を持つ論理構成になっており、重大な不足分がある。少なくとも、鄭氏が真正面から論じていない領域がある。
 それは、いまだ名乗り出られない条件下にある「台湾人・朝鮮人・日本人「公娼」(50音順)の経歴のある被害当事者」である。念のために注意しておくが、筆者は鄭氏(のみ)を批判しているのではなく、鄭氏の目的である植民地支配責任の追及を徹底させ、日本の知識人の問題点をさらに追及することである。すべてを鄭氏にひきうけさせるのはまったく不当なため、筆者が大枠ながら追及をひきうけようと考える。
 さて、筆者の目的を追求するため、以下の四点で、「公娼制度」における日本政府と昭和天皇国際法上の責任を検討してみる。

1:すくなくとも1930年代には廃娼運動のもりあがりを通じて、廃娼制度が(事実上の)人身売買制度であり、国際法違反であることを日本政府は確認していた。サイト「Fight For Justice」(以下FFJ)のQ&A・0-3によると、日本「内地」の最初の廃娼建議として1882年の群馬県の事例、二番目も1928年の埼玉県の事例があることが歴史学的に立証されているという。また、FFJのQ&A・0-4によると1934年に日本政府は廃娼を表明しているとある。しかし、日本政府は廃娼のために実効的な指導をしなかったことが歴史学的に立証されている。さらに、見逃してはいけない事例として、亡命した朝鮮人のつくった臨時政府てある上海臨時政府の臨時憲章(1919年4月に制定)に以下のような条項がある。以下、「大韓民国臨時政府をめぐって」(1979年、梶村秀樹)に収録のものを引用する。強調部分は本記事作者による。さがせば台湾人・朝鮮人によってなされた同種の事例がみつかりはずである。

第一条 大韓民国は民主共和制とする
第二条 大韓民国は臨時政府が臨時議政院の決議によってこれを統治する
第三条 大韓民国の人民は、男女・貴賤及び貧富の階級がなく、一切平等である
第四条 大韓民国の人民は、信教・言論・著作・出版・結社・集会・信書・住所移転・身体及び所有の自由を享有する
第五条 大韓民国の人民にして公民資格を有する者は、選挙権・被選挙権を持つ
第六条 大韓民国の人民は、教育・納税及び兵役の義務を持つ
第七条 大韓民国は神の意志に依って建国した精神を世界に発揮し、進んで人類の文化及び平和に貢献するために国際連盟に加入する
第八条 大韓民国は旧皇室を優待する
第九条 生命刑・身体刑及び公娼制を全廃する
第十条 臨時政府は国土恢復後満一年以内に国会を召集する


つまり、国際法違反に対して、実効的な指導をしなかったという責任がある。朴裕河氏は、どうやら、「慰安所」と公娼施設を等号もしくは近似でむすんでいるようだが、もし等号だとしても、公娼施設は人身売買施設であり国際法違反であることは不動なのである。それに、もし少なくとも1930年代に日本政府が廃娼のために実効的な指導をしていたとするならば、「慰安所」の大量設置はなされなかったと考える、十分根拠のある推測がなりたつと朴氏は考えないのだろうか? このことを考えると、日本近代はつくづくひどい「近代」であると思う。
2:植民地であった台湾・朝鮮においても公娼制度は設置された。日本の植民地の最高責任者は、昭和天皇でありその次が総督府総督である。つまり、植民地における公娼制度の法的責任は昭和天皇に直結すると認定できるのである。実はこの指摘は、2000年の女性国際戦犯法廷における、吉見義明証人とパトリシア・セラーズ検事の間の証人尋問にもとづいている。ここで吉見義明氏は安藤利吉第二一軍司令官の上官が昭和天皇以外にありえないことを(虚をつかれたようなところをふくみながら)証言していたが、小林躋造台湾総督についても同じことが当てはまる(「女性国際戦犯法廷の全記録1」P150)。この論理構成を少し進めると、「内地」の公娼制度の国際法違反の責任追及に、まるでドミノだおしのように、たどりつく。このことを考えると、昭和天皇はつくづくひどい人間だと思う
3:FFJのQ&A・4-2によると、日本「内地」と植民地の台湾・朝鮮で、国際条約の適用には、日本政府の決定で違いをつくることができる。そのことから考えると、日本「内地」のみで公娼制度が廃止されたとして、台湾・朝鮮で公娼制度が同時に廃止されるということは(日本政府がつくった)法制度上保障されないのである。わかりやすい例として、日本国籍の「公娼」を例にとる。公娼施設業者が、日本人「公娼」を日本「内地」での性売買に従事させることが法律上不可能になったとして、台湾・朝鮮で性売買に従事させることは可能なのである。つまり、公娼制度からみれば、植民地は、国際法に対する、日本政府が作り出した抜け穴にほかならないのである。この点については、植民地が戦争防止などを目的とした国際法の抜け穴であるという意味の有力な指摘が姜徳相・宋連玉氏などによってなされている。さて、ここで論じたことは「公娼」からみれば、日本軍人との同格性を決定的に否定する根拠である。日本軍人は、日本政府からみてさえ、適法性が「内地」と植民地で変化したりしないからである。国際法上、むしろ植民地下での日本軍人の存在自体が不法性が高い(「韓国併合」の合法/違法論争を参照)。話をもどしてこの「公娼」の同格性の否定の法的根拠をたどっていくと、買い手の性欲処理を国家として必要としながら、「売り手」ではなく買い手の問題を追求せず、「売り手」に対してうわべの名誉すらみとめなかった日本政府の一貫した政策、その国内法上の(国際法上のそれではない)”表現結果”にほかならない。なお、男女間の参政権における差別の論点もあるが、本記事では長くなるので省略する。論証はとても簡単なので、意欲のある読者は論証してみてほしい。
4:植民地の台湾・朝鮮における公娼施設業者とは、日本民衆の植民地主義者そのものにほかならない。むしろ、そして、「慰安所」における非軍人の業者の行動は、植民地主義者のそれと本質的に同じである。いくつかの研究結果から筆者が推測するに、このことは歴史学的にそれほどむずかしくなく立証できる。また、そもそも正しい意味での”文学的意味から”も、公娼制度が植民地主義と同一であるといえる。「それ以外に収入の方法がない」とされた「公娼」が管理され、それでいながら「公娼」より管理者側の業者のほうが(違法に)より多くの利益をまきあげているからである。朴氏は、民衆の植民地主義の本命を批判せずして、いったい植民地主義の何を批判しているのだろうか。朴氏は業者にすべての責任を押しつけようとしているようだが、業者すなわち公娼制度業者の責任の追及からはじめて、「公娼制度の違法性」を正面から徹底的に追及すると、結局日本政府と昭和天皇の責任を認定せざるをえなくなるのである。


 筆者は本記事で、「違法行為に対して最大限の指導を行わない政府もまた違法行為を犯しており、(重大な)処罰に値する」という立場から論理構成をくみたてた。こうしてみると、日本政府の国際法に対する違法状態の踏み倒し行為(公娼制度の継続)にたいして徹底的に追跡する具体的方法が認められなかったことが、さらなる違法状態を生みだしたといえる。
 このようなことはほとんど言わないことにしているのだが、筆者は今、皮肉というにはあまりにも不気味な笑いをこらえることができないでいる。高卒程度の知識と、明確な問題設定さえあればそれほど難しくなく検討・認定できることに、これまで気がつかなかった自分のうかつさ。筆者よりはるかに潜在能力があるはずでありながらこの認定の方向とまったく逆の方向に進み続けている(朴氏を批判できない)日本の知識人の無残さ。
 筆者は、『帝国の慰安婦』と「日韓合意」という”事件”に衝撃をうけてから、それに対して最大限の対抗策をつくらねばと今年四月から作業をはじめ、ドミノだおしのように、『帝国の慰安婦』への「公娼制度もまた、日本政府と昭和天皇の、明白な国際法違反である」という重大な点にたどりついたわけである。ひょっとしたらこの問題圏を専門とする鈴木裕子氏・宋連玉氏・藤永壮氏などは同じ結論に筆者より早く達しているのかもしれないが、筆者個人がほぼ自力でこの結論にたどりつけたのは大変意味のあることであると思う。
 最後に一つだけ、朴氏に言っておきたいことがある。「朴さん、あなた大変なヤブヘビでしたね」


追記1:ここで公娼制度をみてきて、ある問題に言及しておかないといけないと思う。それは、公娼制度と「慰安所」制度がなぜあきらかに等号でむすべないのか、という点である。筆者のみるところ、その理由は結局、軍人とは死ぬかもしれず殺されるかもしれない”戦地”という場所で従事して(させられて)いるからである。「公娼」はたしかに身体や健康上の危険のある場所で従事して(させられて)いるが、少なくとも”戦地”と同じ程度の生命の危険のある場所で従事して(させられて)いるわけではないのである。だからこそ、軍隊側が命令しないといけなくなるのである。

追記2:さる2017年12月16日に宋神道氏が亡くなったという記事がでた。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13281344.html

筆者は、もっと宋神道氏の言葉を紹介することのほうが、多弁をするより、宋氏の遺志に一致していると筆者は考えるので、以下、宋神道氏の言葉を二点紹介する。


*4 その日、宋さんは次のような内容を語った。
「おれは反対だ。そんなだらかえって黙ってやめた方がいいや。見舞い金として払ってもらったからってあとでどのようなこと言われるか。また、白い目で見られるんじゃないの。とにかく国民から金取るよりも政府でやるべきなんだよ。はした金持ってきて見舞い金でがす、なんて言って、誰がもらえるか。白い目で見られても、おれは自分の頭で生きてるんだよ。本当に誠意あるように、金払うにしても、謝罪するにしても、ちゃんとした謝罪をしないと、いい加減なことしたら、おれはとっても受けられないもの。本人が納得いくようにしなければとってもだめだ。そりゃね、日本政府が、本当に予算がないからこれだけしかやりきらないと、謝罪なり、補償なり、これ以上はとても出来ないと、これで勘弁してけろと、今日本の国は景気も悪いし、そっちだこっちだやっていかなければならない立場があると、ちゃんと謝罪して勘弁してけろと言うのであれば、しょうがないよ。ただ、二度と戦争起こさないように、ただこれだけおれがね、気持ちいっぱいなんだ。たかが知れた金もらって、ああそうかなって涙のんでいるよりも、もらわないでハッパかけた方がよっぽどいいよ。」


(底本:「Q&A 朝鮮人慰安婦」と植民地支配」(2015年、日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編、お茶の水書房)のP142)



 まず被害当事者の宋神道さんは、「国民基金を受けとるつもりはないので、説明を受けるつもりもない。日本政府が本当に反省してるのならば、政府にちゃんとした謝罪と補償をしてほしい」との返答を寄せています。また宋さんは7月12日に韓国、インドネシア、フィリピンの被害者とともに「国民基金」を訪れた際、「国民基金」の事務局員が支援者を暴力的に部屋から追い出そうとした件について、「ああいう態度は許せるものではない。あれを見て、あきあき、嫌になった」と、その日の対応に垣間見た「国民基金」への不誠実さに繰り返し怒りをあらわにしています。

「在日の慰安婦裁判を支える会から「国民基金」宛の手紙」(1996年09月11日)

(底本:「資料集 日本軍「慰安婦」問題と「国民基金」(2013年、鈴木裕子、梨の木社)のP318)

 宋神道氏のことを論じた、徐京植氏の「母を辱めるな」(http://www.eonet.ne.jp/~unikorea/031040/38d.html)は、まちがいなく重要論考である。しかし、筆者はある不安を抱いている。ここで、「母」は「孤立した存在」としてのみとらえられていないだろうか、と。本当は、「母」と、それに連なる人々は、歴史における”流れ”と”広がり”をもっているのではないだろうか、と。この人たちのつくりだした”動力”こそ、歴史の最高の部分を作り上げているのではないだろうか。
 この点、以下の引用をして本記事を一度おわらせたい。

梶村秀樹の「未発の契機」――植民地歴史叙述と近代批判――」(車承棋)

 このように見れば、彼の「内在的発展」の論理は、「収奪論」の単純なナラティヴ、すなわち日本帝国主義により国土が侵奪された植民地を否定することによって、またそのなかで営まれた民衆の日常的な生を否定し、もっぱら「敵」としての日本との対立を叙述の基本軸とし、植民地の外で独立のために戦ってきた人々の闘争史を中心に置こうとする、いわゆる「亡命者史観」のナラティヴとは区別されなければならない。彼もまた植民地支配に抵抗する民族解放運動から「朝鮮人の作り出した最高のもの」(14)を発見するが、彼が探し、表し、叙述しようとするのは、そのような詩的な瞬間というよりも、むしろ「歴史の底層を脈々と地下水のように流れ続け」(15)ている民衆の散文的な生とそのなかのエネルギーであった。



(注釈:本記事は、09月19日に初投稿、09月20日に追記訂正して再投稿した。まだまだ追及しないといけないことが多いはずなのだが、書きつくせないので一度おわらせないといけない。)
(さらに追記、2017年12月21日、さらにすこし追記訂正。「させられて」が一か所ぬけていた。筆者もまだまだまだまだである。)

※本記事は「s3731127306の資料室」2017年12月19日作成記事を転載したものです。