『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

わたしの、本気の反万博論 その44 2024年3月28日大阪府夢洲の爆発事故に対する応答。予想する、2024年12月31日までに、どれかの建造物が傾く。いろいろあるが、この可能性が高い。ひょっとしたら明日傾いてもわたしは驚かない。そして……

そして、爆発事故の可能性や建設会社の「強引な」撤退ももちろんある。 さらに、非常にいやな予想だが、人為的なテロリズム事件がおきる可能性もある。死傷者がでないことが第一なのだが。わたしは、人為的なテロリズムを起こす気などまったくない。人命第一…

わたしの、本気の反万博論 その43 大阪府夢洲で爆発事故、このことを予想できなかったのは、わたしの判断が甘かったからだ。建物が傾くことは予想していたのだが。

大阪・関西万博会場でガス爆発事故…「メタンガス」の危険性は国会で指摘されていた(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース 大阪・関西万博の会場の建設現場で起きたガス爆発のことだ。3月28日午前11時頃、此花区の夢洲で作業員が屋外イベント広場のトイレ…

万博(博覧会)文化とインターネット文化のなれあいをぶっ壊すのがとりあえずの私の目的、決まった。

チャットAIであるBingで、大阪府夢洲の地盤の頑丈さとインフラの整備状況について質問したら、とんでもないごまかしの返事がかえってきた。

Bing AI - 検索正面からの返事がかえってこない。たとえば、これ。返信レベルは「中」 「 質問 大阪府夢洲は、現在、どのぐらいの大きさの地震がきたら地盤沈下がおきますか? ↓ 返信 大阪府の人工島、**夢洲(ゆめしま)**は、2025年の大阪・関西万博の会場…

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳) P003―P040(第一編一から第一編一一のとちゅうまで)

2ページ5KBで10分 20240311 スキャン、■27―■40、20枚、13分 20240327 OCR、不明、約5分、P003-P010 入力、■56-■10、14分、P003-005 20240328 OCR、■34-■39、5分、P011-P020 入力、■41-■…

トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第32章から第35章(終章)まで(一回目の校正おわり)

20240326、トム・ソーヤーの冒険の一回目の校正すべて完了、1ページ約1分32 「おきろ! みつかったぞ!」 火曜日の午後も、やがてたそがれていった。セント-ピータースバークの村は深い悲しみにしずんでいた。まいごになった子どもはまだみつか…

トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第26章から第31章まで(一回目の校正おわり)

20240324 スキャン50枚、■41-■08、27分、 OCR、 20枚、■12-■18、6分、 枚、■03-■10、7分、 入力 ■57-■21、24分、P107-P130 ■25―■47、22分、P130-P151 いきおいがついてきた 20240325 入…

トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第18章から第25章まで(一回目の校正おわり)

20240322、 スキャン、■31-■59、50枚、28分 OCR50枚、■25-■39、 20240323 入力、■08-■27、19分、P007-P023、 ■32-■49、17分、P024―P050 ■06-■25、19分、P051-P067 ■34-■56、…

「【推しの子】」第百四十三話への未整理なメモ 親子こそ、親こそ、自分の本当のことを認めないといけない。それができないなら、子どもが親の本当を認めないといけない……

[第百四十三話]【推しの子】 - 赤坂アカ×横槍メンゴ | 少年ジャンプ+ 「そうだよ?」「私 せんせーの全肯定オタクなので」どうやら、この作品の基本に重大な見落としがある、というわたしの予感は当たっているらしい。 親子こそ、親こそ、自分の本当のこと…

わたしの、本気の反万博論 その42 わたしは極論を言っている。いちおう、わたしにはその自覚がある。そして、この極論と対比させないといけないほど危険な言動の他者の群れがある。これは、死傷者がでる可能性すらある。

わたしの、本気の反万博論 その41 レイシズム、少なくとも、歴史認識問題においては、教育制度だけでなく消費文化固有の次元の問題があるはずなのだが、わりとだれもかれもあとまわしにする。「いいね機能」問題などいざいというと過小評価しているようにわたしには見える。わたしは最初からそこに不安をもっていた。すくなくとも、つきつめる必要は感じた。

「いいね機能」にふりまわされると歴史認識以前に人生しくじるぞ、と口うるさいぐらいにいわれた経験など、わたしはないぞ?

わたしの、本気の反万博論 その40 2025年大阪万博って、バブル崩壊後に人をだまして金儲けした吉村(現知事)たちが、少なくなった団塊の世代と、多くなったバブル狂乱世代となれあっている、っていう構図だが、そこを消費文化世代はみとめたくない。ちょっと、バブル崩壊後をつきはなして見ればわかる話なのに。なれあっていること自体の醜さをみとめたくないのだろう。

わたしの、本気の反万博論 その39 「インターネットがあれば科博という建物と職員は必要ない」「いや、まだ必要ある」という仮想問答は、すくなくとも新聞の社説には一切かかれていない。そして、インターネット文化では、もっと黙殺されている。ここは穏当な判断におさまっていいはずなのに。目先の都合だけ守りたいクソといわれても擁護できないぞ。

仮想現実の技術なんて、それこそよくあるSFの題材ではないか。いざというときだまりこくるのか。万博、インターネット、ディズニーランド、ハリウッド、そして科博。 この4つをぶつけあわせる論者が、本当に少ない。インターネットなんかミソッカスだ、と言…

わたしの、本気の反万博論 その38 「インターネット文化なんか、つるんでばかりいるクソの集まり」となぜ言えないのか。わりと簡単だ、つるんでない人間を黙殺したいからだ。

「インターネット文化なんか、つるんでばかりいるクソの集まり」となぜ言えないのか。わりと簡単だ、つるんでない人間を黙殺したいからだ。なんだ、これだけ言えばよかったのか。 反論があるなら、きっちりいい切ったほうががいいぞ。本当に人生しくじるぞ。…

後藤和智氏の論理を悪用すると、年下になるにしたがって、年上のクソな論理をそのまま極端にマネしている、最低の連中ということになりかねない。事態はもっとややこしくて、たとえば年下が年上に反発するていをとって自分に都合よく論理をねじまげていたりするのではないか。ただなあ、「年下だからといって、クソをクソと見抜けないと思うなバカ!」って言っている若者、本当に少ない。わたしの勘違いなら本当にいいのだが、成田みたいなのが東大祭りの「運営」に招待されるんだから、なめるなというは正直難しいぞ。

そういえば、宮台真司氏が信用できるかどうかちゃんと考えていそうな人といってパッと思いつく人って、後藤氏ともう一人、仁藤氏だったりする。仁藤氏の場合、なんかのインタビューで、宮台氏個人の名前をだしていないから、「出した方がいいじゃないのかな…

わたしの、本気の反万博論 その37 はてながどうのツイッターがどうのという道具の話の前に、答えてくれたその人に感謝して後で恩返ししますよ、と示すのが先に決まってるだろ。なに黙殺してんだ。そうでないと別のことも黙殺できないからあんなことしてんだろ。……これ、当たってたらそうとうおそろしいことやってるぞ。

インターネットはまだ人力判断なのだから、人間に恩返ししようというのがあるべきだろ。思い出してみると、最初の頃から人力判断という前提を重んじてはいなかったぞ。「わたし」が、中西新太郎氏や押川剛氏のようなミョウだが観察力を鍛えている人の言って…

わたしの、本気の反万博論 その36 フィクション作品のどこそれに優勢思想、じゃなかった、優生思想があらわれていることなど、あまり意味がないのではないか。一時の優勢、つまりランキング至上主義と対決する気が、本当に、ほとんどないのだから。眼力がないってことになるから、失礼ではある。でも、この30年間、カフカやフォークナーやメルヴィルのようなランキングに対する敗者復活戦って、思い浮かばない。いろいろしゃべってはいるけど、結局あれはただよっているだけではないか、という疑問がずうっとある。

ほかにもいろいろ理由があるだろうけど、ランキング至上主義をつきはなさない時点で、公平な感覚とはいえない。2004年のTVアニメ『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』において、遺伝子解析で理想的とされる仕事を強要する悪役のプランが、当時の視聴者には否定…

後藤和智氏へ、「若者」にも、強いものにすりよりたい連中が山ほどいる。一人の人間がそこで激しく揺れ動いている事すらあるようだ。そこを見極めないと、簡単に切り捨てられてしまう。現に、「わたし」が切り捨てられた。「わたし」の落ち度を批判されることも無く。そこが一番怒らせたことだ。発信しているのに発信されないとか、いとも簡単に他人まかせにするのには驚いてしまう。

わたしの、本気の反万博論 その35 たとえ反ナショナリズムのためという理由であっても、1967年の新井真一氏のあの決断を否定するのは、認めるべき歴史の否定であり、人間の誇りにかかわる最重要な決断を黙殺してしまうダメな行為だ。あれをこえることだけを考えるんだ。わたしは断言する。

1967年6月8日、東京都青山の岡本太郎宅を訪れた新井真一(1970年大阪万博事務方トップ)はこんなことを言った。 「先生以外には誰もほかに考えていません。七〇年三月十五日からと会期も決定し、間もなく世界中に参加招請状を発送します。その中心になるテー…

わたしの、本気の反万博論 その34 つるむのは罪であり、やすっぽい薬物でもある。インターネット文化が万博より劣っている最大の理由の一つは、そこを思い切り肥大化させたからだ。

族 | 押川剛 公式ブログもうね、集合知なんていうのは言うな! その前に「朝鮮精神」、じゃなかった、「挑戦精神」をもてと言いたくなる。 これはついでだが、在日朝鮮人運動などのマイノリティ運動でも、もっとインターネット文化に対して「挑戦精神」をも…

わたしの、本気の反万博論 その33 成田悠輔氏とその賛同者は、「ワタシを生んだのは、水俣病患者を見捨てた団塊の世代だ!」とは言わなかった。今この時が「団塊の世代」をまとめて、どんなにゆがんでいても、正当に批判する最後のチャンスだった。それを言わない、その時点であの連中の「歴史認識」が危険なほど荒廃していることが確定した。結局、「団塊の世代」がもっているミエと権力とカネに目がくらんでいると断言していい。吉村現大阪知事も、まったく同じで「団塊の世代」に都合よくすりよっている。1980年から数え

「団塊の世代」自体ではなく、「団塊の世代」がもっているものにすりよっている。 なんだここだけ言えばよかったのか。なんだ単純なはなしなのか。もう少しつけくわえることがあるかもしれないが。

わたしの、本気の反万博論 その32 2024年3月時点で、インターネット上で、網野善彦氏を中心とする奥能登の旧家時国家研究が具体的にどういうものだったかの情報は、神奈川大学日本常民文化研究所の情報をのぞけば、本当にうすい。どうやっても7年かかった、ということが強調されていない。

受託研究 輪島市・上時国家文書・時国家文書調査業務 | 調査と研究 | 神奈川大学日本常民文化研究所網野氏らの本にちゃんと、どうやっても7年かかっただろう、ということが書かれてあるのに 最低でも7年かかった、という、人文学というか人間の判断にとっ…

わたしの、本気の反万博論 その31 ふりかえって実に異様としか思えないが、反体制運動でも、「いいね機能」に対する総合的批判というのは、あとまわしになっている。生徒に依存症に近い状態の人がいるだろう、高校大学の先生のアカウントでも、「いいね機能」批判ははっきりあとまわしにしている。

たとえば「ひろしまタイムライン」のときにそれがはっきりした。イーロン・マスクの強引な管理体制変更の批判のときも、「いいね機能はずせるようにしたらホントは人間の健全な生活のためによいのでは」という批判は、多少はあるが、ほとんどあとまわしだっ…

トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第14章から第17章まで(一回目の校正おわり)

20240317 ■45-■00、15分、入力、198-209 20240318 ■18-■31、13分、入力、210-219 ■34-■54、20分、入力、220-238 ■05-■12、7分、入力、239-246、 20240323 一回目の校正、一…

いまの「毒親論から親ガチャ論への妙な論点の移動」をみると、バブル狂乱のときのあぶくガネをほしがっている「若者」は山ほどいる、と誤解されても、まあ擁護できないな。カネと見栄より、命が大事だ。これはブラックジャック先生に言われるまでもなくあたりまえのことなのだが。

「戦争証言アーカイブス」収録の、日本陸軍第一師団所属の将兵1人の証言を再読

1920年 東京都伊豆大島生まれ 1940年 入隊 満州(現・中国東北部)の第1師団へ 1944年 上海を出発し11月、フィリピン・レイテ島へ 1945年 セブ島で終戦を迎える 戦後は農協などに勤務

わたしの、本気の反万博論 その30 インターネット文化の軽薄無責任ぶりも問題だが、2024年3月現在も参加する海外各国も、BIEも、日本の建設業者の社長クラスも、スポンサーの社長会長クラスも、もう同罪。「賠償減額」は1割引きまでしか認められない。それぐらい罪が重い。はっきり言っておく。

安心しろ、物理的破壊は法律に基づいてやる。もちろん、死傷者を出す気はまったくない。つまらん進歩主義はぶっつぶすつもりだが。あいつらにとってそっちのほうがキツイはず。

わたしは、はっきりいう。たった一人の命を救うために、日本の、世界のマンガすべてが破かれてなくなってもいいと思っている。マンガ家は、ある一点において、直接命を救っている人に絶対に勝てないのである。当たり前のことだ。いうまでもない。

たった一人の命を救うために、 ↓ わたし一人の命を救うために でもいい。追記 岡本太郎は、「自分の絵が切られたら、オレがくっつける。それでいいだろ!」と言い切った。平野暁臣氏と岡本敏子氏は、「明日の神話」でほぼ同じことを実行した。これは私たちに…

いまのインターネット文化に、万博文化というか万博の歴史と自分を対比させる文化運動も視点も緊張感も、ほぼない。はっきりわかった。必要がないとかってに錯覚してるだけだ。錯覚させられているだけ、ともいえるのだが。仮想現実(VRでもいい)が大衆化していない時点でねぼけているとしか思えないのだが。

なんどもいう、政治と文化、あまりにも近い例でいえば万博とインターネットの別居方式は何年も前に崩壊している。たぶん、岡本太郎と藤本弘が死んだ1996年ごろから、すでに崩壊している。