『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

NHKに「戦争証言アーカイブス」についての2回目の問い合わせをしました。

「戦争証言アーカイブス」の検索の不具合が直っていません
 
二度目のNHKへの問い合わせです。

「戦争証言アーカイブス」の検索の不具合がまだ直っていません。
うそだと思うならば、「佐野満寿二さん」の場合でためしてみるか、「写真」での検索結果をしらべてみてください。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100057_00000&seg_number=001
NHKは作成者として、直す必要があるはずです。

このことは自分のブログとツイッターで公開します。

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李鶴来氏の0番目に大きな貢献は、「ずっとやりとおしたこと」

韓国人の元BC級戦犯、李鶴来さん死去 国に救済訴え:朝日新聞デジタル

吉澤文寿/F.YOSHIZAWA on Twitter: "李鶴来さんの最大の功績は、日本の戦争への協力者と見なされた捕虜監視員を、日本の戦争に動員された「植民地支配の被害者」であると、認識を改めさせたことです。私も多くのことを教わりました。合掌。

韓国人の元BC級戦犯、李鶴来さん死去 国に救済訴え:朝日新聞デジタル https://t.co/vi2cD2YpM0"

吉澤文寿氏

李鶴来さんの最大の功績は、日本の戦争への協力者と見なされた捕虜監視員を、日本の戦争に動員された「植民地支配の被害者」であると、認識を改めさせたことです。私も多くのことを教わりました。合掌。

韓国人の元BC級戦犯、李鶴来さん死去 国に救済訴え:朝日新聞デジタル

私の判断はちがう。
李鶴来氏の0番目に大きな貢献は、「ずっとやりとおしたこと」
1番目に大きな貢献は、「日本の戦争への協力者と見なされた捕虜監視員を、日本の戦争に動員された「植民地支配の被害者」であると、認識を改めさせたこと」
吉澤氏と私の判断のちがいがあるだろう。

これを書いた時、ふと中村哲氏のことを思い出した。もちろん、ペシャワール会元代表中村哲氏。

NHKへの問い合わせ 「『戦争証言アーカイブス』の検索システムで、ある人の証言のチャプター1以外にある文字列を入力しても、その人が検索結果に出てこない」

おひさしぶりです。


『戦争証言アーカイブス』の検索システムで、ある人の証言のチャプター1以外にある文字列を入力しても、その人が検索結果に出てこないです。
うそだと思うならば、「佐野満寿二さん」の場合でためしてみるか、「写真」での検索結果をしらべてみてください。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100057_00000&seg_number=001


この問い合わせは全部公開します。

NHKさまへ。
問い合わせについてですが、2021年3月13日午前11時までに返信おねがいします。もしできればですが。

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「ひろしまタイムライン」事件の、ツイッターという視点からみた検証――中間報告その2

簡単に書く。

今読み返して、気がついた。
ひろしまタイムライン」は1945年8月6日の分、あとは1945年8月7日の分だけしか読まなくてもまったく問題ない。
うそだと思うならば、たとえば、1945年9月1日から9月30日の分を読み返してみればいい。注意深く読んでも、登場人物「シュン」が被爆者に見えない! 原爆症と疑われる記述があるのに、そう書いてある。
これはたぶん、資料の日記の記述を注意せず書き写しただけだからこうなったのだろう。
ツイッターの即報性ばかり使うからこうなる。とてつもなく情けないことだ。
たとえば、「夏の花」(原民喜)は全部読まないといけないようになっている。その理由は原民喜氏が長い作品をほとんど書いていないからだけではない。

3つの原爆関連データベースで、「東大橋」で検索した結果

新井俊一郎氏の証言で重要な場面の一つに、「東大橋」が出てくる。

被爆地    当日午後、東大橋から入市し、爆心から二キロ以内の段原大畑町・比治山下を歩いて出
       汐町の自宅へ帰る。翌日、爆心より一・四キロの東千田町の学校へ行く)

その東大橋の真ん中で私たちは、憲兵の一団に出くわします。全身火膨れで逃げ惑う人たちと違って汚れもなく、ピカピカの軍服に「憲兵」の腕章をつけ、誰一人、広島に入れるものか、と仁王立ちでした。私たちは、たちまち捕まりました。「中学生が、今ごろいったい何をしているのだ」と怒鳴りつけられ、その激しい剣幕に私たちは立ちすくむしかありませんでした。

すぐ脇で、自転車を押し肩から写真機を下げた男の人が、憲兵と喧嘩腰で言い争っていました。彼は「広島に入れろ」と押し問答していました。写真機を持ち、そんな勇気があるのは新聞記者だけだ、と思いました。しかし憲兵は数人の一団です。凄まじい怒号が聞こえたと思った瞬間、その人は自転車もろとも、橋の下を流れる猿猴川に投げ込まれていました。そののち彼がどうなったのか知るすべもありませんが、とても恐ろしく感じました。

やっと許されたので、橋の上を広島の町に向かおうとしたとき、幼い姉妹が現れたのです。小学校低学年くらいのお姉ちゃんが小さな女の子の手を引いて、群衆の中からよろよろと歩み出て来たのです。二人とも顔は大やけどのため風船のように腫れ上がり、それでも目と口の部分が少し窪んでいて、何か言っている声が、かすかに聞こえるように思えました。霞の中から湧き上がるように現われた二人は、ゆっくりと私の右横をすり抜けて行きました。お姉ちゃんが妹に小さな声で「しっかりね、しっかりねっ」と繰り返し励ましているように私には思えました。現われたときと同じように二人はまた、群衆の波に飲み込まれ消えていきました。万が一にも、あの二人は生きてはいないでしようね。でも何とか生きていて欲しい。決して忘れられない場面です。

時刻はもう、午後三時か四時近くなっていたでしょう。比治山の向こう側は煙と炎が燃え盛り、空にはキラキラと細かい紙切れが舞っていました。

無念の思いを届けたい 新井新一郎さんに聞く - 遺言「ノー・モア・ヒロシマ」-未来のために残したい記憶-


以下の3つのデータベースでしらべたが、新井俊一郎氏の証言に出てくる「新聞記者」または「姉妹」と同一人物を確認できなかった。

(893人の証言を登録)
国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク

(画像資料が多いようだ)
広島平和記念資料館 平和データベース

(「被爆者(広島)」19人、「被爆者(長崎)」8人、「 在米被爆者」5人、「被爆兵士」12人の証言を登録)
NHK 戦争証言アーカイブス


……ここで、証言に出てくる人物と同一人物を確認できなかったことも大事なのだが、もう一つ、非常に大事なことは、「ひろしまタイムライン」制作班の監督役2人(上松圭、平尾梨佳)もスタッフも、検索することを思いつかなかったらしい、ということである。3つのデータベースの検索にかかった時間はだいたい5-6分。時間がかかりすぎるということは絶対にない。ということは、制作班全員が思いつかなかった、ということである。わたしは、言い尽くせないほど恐ろしいことだと感じる。

「ひろしまタイムライン」公開原稿改ざん疑惑―改訂版

資料としての日記A、
Aをもとにして書いた完成前の原稿B、
完成させた公開用原稿C、
書き直したことを明記したうえでふたたび公開する原稿D、
そして書き直したことを明記しないでこっそり書き直してふたたび公開する原稿E。
ひろしまタイムライン」で、絶対にあってはならない原稿Eが見つかった。
発見は偶然だった。
わたしが新井氏に原稿Bを見せた後に書き直して原稿Cをつくったのかとかんちがいして、2つの原稿を「SHIFT+Fキー」機能で比較した。そしたら見つかった。

NHK側がどうしてこんな愚かなことをしたのかわからない。
ただし、これはいえる。
これは改ざんにあたる行動で、視聴者を根本的に裏切っている。


まず、写真を示す。
●4月7日
ちがい

「噛まれかけていた奴がいた。」→「噛まれていた奴がいた。」
「「これぐらいは大丈夫」と返してきた。」→「「これぐらい大丈夫」と返してきた。」

f:id:s3731127306973:20210131191811p:plain
記事「シュンちゃんツイート(4月7~12日)はこうやって創作しました&日記を書いた新井さんからのコメント」より4月7日のツイート
f:id:s3731127306973:20210131191959p:plain
記事「「シュン」これまでのツイート 1945年4月1日~15日」より4月7日のツイート


●4月11日
ちがい

「起き上がって、」→「起き上がってきて、」
「ことではいけぬ。」→「ことではいかぬ。」
「米英撃滅に向けて励むのだ。」→「米英撃滅に向けて日々鍛錬に励むのだ。」

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記事「シュンちゃんツイート(4月7~12日)はこうやって創作しました&日記を書いた新井さんからのコメント」より4月11日のツイート
f:id:s3731127306973:20210131192511p:plain
記事「「シュン」これまでのツイート 1945年4月1日~15日」より4月11日のツイート


●5月6日
ちがい

「広島も」→「廣島も」

f:id:s3731127306973:20210131192649p:plain
記事「シュンちゃんツイート(5月1~31日)は こうやって考えました&日記を書いた新井さん本人からひと言」より5月6日のツイート
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記事「「シュン」これまでのツイート 1945年5月1日~15日」より5月6日のツイート


絶対にあってはならない原稿Eがたしかに存在することがわかる。
さらに注意すべきは5月6日のツイート。このツイートの文章には、「広島」と「廣島」がまざっている。基本的な固有名詞すら統一していないというのは非常におどろいた。


以下、くわしくちがいの一覧を示す。
以下の「→」の意味は
「シュンちゃんツイート(4月7~12日)(4月13~30日)はこうやって創作しました&日記を書いた新井さんからのコメント」「シュンちゃんツイート(5月1~31日)は こうやって考えました&日記を書いた新井さん本人からひと言」→「「シュン」これまでのツイート」
の順ということです。

4月7日 2つ、改行のちがいあり
「噛まれかけていた奴がいた。」→「噛まれていた奴がいた。」
「「これぐらいは大丈夫」と返してきた。」→「「これぐらい大丈夫」と返してきた。」
4月8日 1つ、改行のちがいなし
「遊んだりしたもの」→「遊んだりしたものだ。」
4月9日 4つ、改行のちがいあり
「のである 。」→「のである。」
「大したものが」→「大したものは」
「1月に」→「1月頃に」
「うまかった!」→「うまかった。」
4月10日 1つ、改行のちがいあり
「こんないい名前もないだろう。」→「こんなにいい名前もないだろう。」
4月11日 3つ、改行のちがいあり
「起き上がって、」→「起き上がってきて、」
「ことではいけぬ。」→「ことではいかぬ。」
「米英撃滅に向けて励むのだ。」→「米英撃滅に向けて日々鍛錬に励むのだ。」
4月12日 なし、改行のちがいあり
4月13日 なし、改行のちがいあり
4月14日 なし、改行のちがいあり
4月15日 なし、改行のちがいあり
4月16日 なし、改行のちがいあり
4月17日 なし、改行のちがいあり
4月18日 なし、改行のちがいあり
4月19日 なし、改行のちがいなし
4月20日 なし、改行のちがいあり
4月21日 なし、改行のちがいなし
4月22日 なし、改行のちがいなし
4月23日 なし、改行のちがいなし
4月24日 なし、改行のちがいなし
4月25日 1つ、改行のちがいなし
「広島から」→「廣島から」
4月26日 なし、改行のちがいなし
4月27日 なし、改行のちがいなし
4月28日 なし、改行のちがいなし
4月29日 なし、改行のちがいなし
4月30日 なし、改行のちがいあり
5月1日 なし、改行のちがいあり
5月6日 あり1、改行のちがいなし
「広島も」→「廣島も」
5月9日 なし、改行のちがいあり
5月27日 なし、改行のちがいなし
5月31日 なし、改行のちがいあり


みなさんも自分で「SHIFT+Fキー」を使って確認してみてほしい。

「シュン」これまでのツイート 1945年4月1日~15日 | 被爆75年ブログ|NHKブログ
https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/tsubuyaki/4/436440.html

「シュン」これまでのツイート 1945年4月16日~30日 | 被爆75年ブログ|NHKブログ
https://www.nhk.or.jp:443/hibaku-blog/timeline/tsubuyaki/4/436441.html

「シュン」これまでのツイート 1945年5月1日~15日 | NHK広島 核・平和特集ブログ|NHKブログ
https://www.nhk.or.jp:443/hibaku-blog/timeline/tsubuyaki/5/436442.html


シュンちゃんツイート(4月7~12日)はこうやって創作しました&日記を書いた新井さんからのコメント | 被爆75年ブログ|NHKブログ
https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/butaiura/427607.html

シュンちゃんツイート(4月13~30日)はこうやって考えました&日記を書いた新井さんからのコメント | 被爆75年ブログ|NHKブログ
https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/butaiura/428662.html

シュンちゃんツイート(5月1~31日)は こうやって創作しました&日記を書いた新井さん本人からひと言 | 被爆75年ブログ|NHKブログ
https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/butaiura/430956.html

ウェブ魚拓
https://megalodon.jp/

ひろしまタイムラインについて、14回目の問い合わせをしましたが、返信がありませんでした。しかし、NHK側は指摘した人間に一言も返信をしないまま、指摘した誤字脱字を直しました。

届いたメールを調べなおしたが、やはりNHKからの返信はなかった。

【魚拓】広島の中学1年生「シュン」1945年8月1日~15日のツイート | NHK広島 核・平和特集ブログ|NHKブログ
>【1945年8月1日】 18:14
>昼食に続いて、夕食も腹がいっぱいになるまで食べられた。
>多すぎて残しそうになるほどである。
の後には詩吟大会がひかえている。
>うまく詠えるだろうか…

広島の中学1年生「シュン」1945年8月1日~15日のツイート | NHK広島 核・平和特集ブログ|NHKブログ
>【1945年8月1日】 18:14
>昼食に続いて、夕食も腹がいっぱいになるまで食べられた。
>多すぎて残しそうになるほどである。
この後には詩吟大会がひかえている。
>うまく詠えるだろうか…

わたしをいやがるのはどうでもいいが、「誤字脱字の指摘ありがとうございます」の一言もなしに、誤字脱字を直すのか。
今回の件にかぎっていえば、NHKはとんでもなく失礼な連中だ。


追記:
以下、証拠写真
2021年1月6日 04:39のウェブ魚拓より
【魚拓】広島の中学1年生「シュン」1945年8月1日~15日のツイート | NHK広島 核・平和特集ブログ|NHKブログ
f:id:s3731127306973:20210129211818p:plain
 
 
2021年1月29日 21:12のウェブ魚拓より
【魚拓】広島の中学1年生「シュン」1945年8月1日~15日のツイート | NHK広島 核・平和特集ブログ|NHKブログ
f:id:s3731127306973:20210129211838p:plain